7/11(Fri) | 東京(成田) 18:10-ノースウェスト航空(NW)019-23:55 シンガポール(チャンギ) |
宿泊先 | City Bayview / S$143 (\11,730) per night |
[booking sites for you / agoda.jp Booking.com Hotel Club venere (英語・日本語) アップルワールド JHCホテル (日本語)] | |
関連サイト | アジア総合リンク, シンガポール マイレージプログラム |
プロローグ
私は今回の旅行の前にCiticard (Citibank International Card)を作った。
この6月に新聞広告を見るまで全くシティバンクに関心もなかったし、だいたい自分の生活圏には1つも支店がなかった。
唯一、横浜に支店があったようだが、その支店は当時桜木町にあり、通勤経路からも逸れていた。
その私がなぜこの銀行に口座を持とうと思ったかというと、この7月から口座を持っている人は、都銀と第一地銀のCD/ATMから手数料無料(原則として前々月の月間平均総預り残高(外貨預金を含む)が100万円相当額以上の場合)で現金が引き出せるようになったからだ。
日本では預金口座がある銀行以外のCD/ATMから現金を引き出すと、105円(約1US$)か210円(約2US$)の手数料を取られていたので、当時としてはまさに晴天霹靂の画期的なサービスだったのだ。
また、シティバンクのCD/ATMは24時間営業だし、このカードで世界中の"Plus"と"Cirrus" ( 2002.2.28以降はCirrus経由の引き出しと残高照会のサービス停止)とのマークのあるCD/ATMから現地通貨で現金を引き出せすことができるのだ。
”世界中のCD/ATMで下ろせるキャッシュカード”を作りにある支店へ行った私はそこでも驚きを覚える。
まるで高級サロンのような雰囲気のところで口座開設の書類を書き、目の前にはとてもインテリジェンスな雰囲気を持った女性がテキパキと事務処理を行っている。
いつも出入りしていた都銀のロビーとは全く違う雰囲気に私は一瞬VIPにでもなったかのような感覚を覚えたものだった。
また、私はこの銀行が外貨預金なるものを扱っていることを知ったが、この旅行前にその預金口座を開くことは全く考えていなかった。
しかし、その考えを180度転換するまでにはわずか4ヶ月余りの歳月しか必要とはしなかった。
とうとうWorld Perks(Northwest Airlinesの飛行マイル数の加算による無料航空券サービス制度)の会員特典によるフリートラベルが実現することになった。
思えば、私は1993年12月に、連れの友人はは1994年9月に加入して以来、わずか3年ほどで「アジア無料フライト」が獲得できるのだから楽なものであった。
ちなみに、ノースウェスト航空(NW=Northwest Airlines)はKLMオランダ航空(KL=KLM Royal Dutch Airlines)とも提携しているため、東京とアムステルダム(5,805mile per one way)を2往復(11,610mile*2=23,220mile)すると、フリートラベルの最低ラインである20,000mile(但し、6/15-10/14, 12/15-1/14は25,000mile)は軽々と突破するし、これは格安航空券やパッケージツアーであってもマイル加算の対象となっているので、私たちのように年1回は海外旅行へ出かけるという「海外旅行フリーク」なら、簡単に達成可能な水準なので、是非お勧めしたい。
また、アメリカ方面ならロサンゼルス(5,451mile per one way)以遠を往復の対象とすべきだろう。
もちろん、基本フライトに加えて、追加フライト(たいていは無料)を付ければ、25,000mileを突破するのも簡単なのは言うまでもなく、私たちはこれでピーク・シーズンの基準もクリアしたのだ。
そこで問題なのは「どこへ行くか」ということなのだが、アジア都市間でノースウェスト航空かKLMオランダ航空を利用するのが条件だから自ずと制約はある。
それに、東京発着にしなければならないという制約を加えると行く先は、北京(Beijing)、上海(Shanghai)、マニラ(Manila)、シンガポール(Singapore)、台北(Taipei)、香港(Hong
Kong)、バンコク(Bangkok)、サイパン(Saipan)、グアム(Guam)、ソウル(Seoul)の10都市から選択することになろう。
このうち、何と言っても一番人気はタイのバンコク(Bangkok)らしく、ここへ飛びさえすれば、陸路にてアジア旅行はもちろん、カオサン通り(Khaosan
Road)で格安航空券を買えば、インドやヨーロッパ、オーストラリアさえ格安に飛べるというバリエーション豊かな選択ができるのが良いのだろう。
そうでなくても、仏教遺跡にビーチ・リゾートと観光拠点が盛り沢山なタイは、平野部で洪水となる可能性の高い雨期後半の9月〜10月を除けば、一押しの地であることは間違いないだろう。
と、いうことを私たち以外にも考えている人間が多ければ、ピーク・シーズンに「只乗り」の乗客が座席を確保するのは、フリートラベル用の座席枠に制限があることから困難になりがちで、どうしても行くのであれば究極の裏技(旅行雑誌の”AB ROAD”によれば、オフ・シーズンの任意の日に予約して、チケットだけ引換え、仮の「旅行開始日から1年以内(normal ticketの有効期間)」の、自分の行きたい日に予約を変更ることらしい)を使うしかないが、それをやっていて、翌年度にずれ込んだ場合、不本意にも仕事の繁忙期しか座席が空いてないとシャレにならないので、別の行き先を探すことにする。( FFPリサーチのページ)
そこで、アジア都市では最も遠くまで飛べ、しかもベスト・シーズンをこれから迎える東マレーシアや、インドネシアへのアクセスが良いシンガポール(Singapore)にした結果、平日の往復なら難無くチケットを取ることに成功、グレート・シンガポール・セール(The Great Singapore Sale 1997.6.27-7.27)という大バーゲンシーズンを迎え、買い物好きな日本人観光客が大挙して行くという予感のある地を拠点とすることが決定したのだった。
ちなみに、他の都市はいずれも、日本が夏の時は、北東モンスーンや南西モンスーンの影響で雨期の地域が多く、この時期にアジア旅行を企画するのは余計な心配(降雨時の代替案や病気,交通の遮断等の対策)をしなければならないこともあるので、あまり選択肢としては芳しくないのが残念でもある。
成田空港は、海外旅行の収支が圧倒的な出超ということもあって、経済大国の国際空港とは思えないほど国際色の乏しい空港である。
周りを見渡しても大多数は日本人、飛行機に搭乗しても、やはり大多数は日本人、という図式が私の感覚として定着していたのだが、私たちの搭乗便の出発時刻は、ノースウェスト航空のアジア各都市へのフライトラッシュとなっていることもあって、チェックインカウンターに行列を作っている人は多種多様な言葉を話す外国人が多数混じり、ここだけ国際空港の「当たり前の風景」があることに、驚きを隠せない。
ただ、18時10分発のシンガポール(Singapore)行き019便から19時発のマニラ(Manila)行き005便までわずか1時間足らずの間に、7本のフライトが集中していているため、これらの乗客のチェックインを捌くのが繁忙日の銀行のような状態で、ただでさえも遅延が珍しくないノースウェスト航空だが、とても定刻通りに出発できるような状況ではなさそうだ。
今年の4月から消費税率が3%から5%に上がったことで、成田空港の「旅客サービス施設使用料」も、従来の2,000円から2,040円に値上がりした。
たった40円なのだが、これから日本円の硬貨が全く無価値となるところへ行くという場合は、喫茶室などでどれだけ小銭を使い切るかの算段が変わってくることもあるので、時と場合によっては重要なこともある。
少なくとも、空港内に掲示があってもいいのではとも思うが、それほど厳密に考えるほどのことでもないのかもしれない。
そもそも諸外国では「空港税」なるものは、どんなに遅くてもフライトのチェックインの段階で徴収されるし航空券を買う際に同時徴収される場合もある。
成田の場合は、出国審査の直前まで徴収されないというシステムの欠陥に問題があるように思える。
あのゲートにいる2名の切符モギリの係員の人件費が無駄と考えるのは私だけなのだろうか。
ヒューストン(Houston)発、成田経由、シンガポール(Singapore)行きのフライトは、私たちの予想通り、定刻から約30分ほど遅れて出発した。
このエアーラインは、食事の不味さと人件費の削り過ぎによるサービスの悪さには定評(!?)のあるところであるが、3年半前(1993.12.16)に味わった「マカロニサラダ」を思い出すまでもなく、今夜の機内食も何を食わされるのか不安であったが、思ったよりも食事が不味くなかったので、ホッとして全部平らげてしまった。
まあ、私たちは「只乗り」の乗客なのだから、この程度で文句を言ってはいけなかったかな?
出発が遅れたこともあって、シンガポール(Singapore)のチャンギ空港(Changi Airport)に到着した時はすでに日付が変わっていた。
さて、困ったことに、深夜に到着するというのに、今夜のホテルの準備も全くせずに、行き当たりばったりという感じで、ここまで来てしまったが、頼みの綱である観光案内所もすでに閉まっており(考えてみれば当たり前か!)、ガイドブックに載っていたTransit
Hotelは出発ラウンジの3階にあるため、その名の通り、トランジット(乗り継ぎ)か出国の乗客しか利用できないようだ。
ちなみに、チェックインカウンターの係員に聞いてみたところ、やはり航空券を持ってないと利用できないということで、私たちは、4年前に私がここに一人で来た時に使った来た時に使ったホテルへ直行することを決断した。
ベンクーレン通り(Bencoolen Street)にある"City Bayview Inn Singapore
(S$143=\11,730)"が、私たちの泊まったホテルで、基本料金がS$125(\10,250)、10%のサービス料、1%のRoom
Tax、これらの合計額に1994年4月1日から導入された3%の消費税が上乗せがあって、上記の価格となるとのことだ。
4年前は、同じホテルにS$105(当時のレート S$1=\70で \7,350)で泊まれたことを思うと、隔世の感があるが、深夜1時過ぎに飛び込んで、すんなり部屋が取れただけでも御の字という噂も!
でも、日本と違って海外では余程のことがなければホテルの部屋は空いているからね。
7/12(Sat) | シンガポール市内観光 |
宿泊先 | City Bayview / S$143 (\11,730) per night |
[booking sites for you / agoda.jp Booking.com Hotel Club venere (英語・日本語) アップルワールド JHCホテル (日本語)] | |
諸費用 | MRT Tourist Souvenir Ticket: S$6=\490 MRTバス共通カード(Transit Link Faircard): S$12=\980 (払い戻し可) ジュロン・バード・パーク: S$10.3=\840 |
関連サイト | アジア総合リンク, シンガポール |
私たちの泊まったホテルは、私が4年前に来たところと全く同じだが、フロントのスタッフやロビーの様子は、当然と言えば当然なのだが、多少変わっていた。
一番大きな違いは、ロビーの中に単独でデスクを張り出していたツアーデスクが、フロントのカウンターで受付をするように変わってしまったことで、もちろん、4年前にいたマレーシア人のお姉さんもいない。
また、フロントのスタッフも、転職が当たり前の労働環境を露骨に反映するかのように、私の知っている人は誰もいないようだ。
そして、あの意味不明な大阪弁を話すフロントマンさえも、懐かしい思い出と化してしまったようだ。
まあ、例え知った顔があったとしても先方はおそらく私のことなど覚えていなかっただろうけど・・・
シンガポールというところは、東京の都心部を歩くのと大差がないようで、歩く場所を間違えるとビル街を彷徨い歩くことになるようだ。
4年前に市内観光した時は、バツイチの女と子供を連れてタクシー観光にバスツアーとリッチに過ごしたが、今回は街歩き名人の連れが一緒なので、そんなことはしない。
午前中は、次の目的地である、マレーシアのティオマン島(Pulau Tioman)への足と、現地ホテルがセットになったパックツアーの申し込みをするために、現地の旅行会社に足を運び、午後は市内観光をして過ごそうというのが、今日の予定である。
ところが、その現地の旅行会社というのが、おそらく中心部にあるのでは?なんていい加減な予測のもとに、やみくもに行ったのがいけない。
ラッフルズ・プレイス(Raffles Place)あたりがシンガポールの中でもビジネス・エリアなのだが、周囲は見事なまでに銀行が軒を並べており、旅行会社などは影も形も見当たらない。
私たちは、シンガポールの銀行の視察に来たわけでも、まして就職活動をしているわけでもないのだが、気分的には霞が関や丸の内のビル街を彷徨っているようで、あまり時間がたつとムカムカしてくる。
仕方ないので、日系の旅行会社のHISならば、日本語も通じるらしいし!ということで、最後の望みを託してそこへ向かうことにする。
こんなことなら、ホテルのツアーデスクをあたってみた方が良かったのかな?とも思ったが、後の祭りだ。
やはり、パックツアー、ましてや国際線の飛行機やフェリーとホテルをセットにしたものを申し込むのに土曜日に来て、「明日出発したい。」と言っても、望みがかなうはずもなかった。
一応、HISのオフィスは13時まではオープンしているものの、どうやら提携しているエージェントから返事が来るのが来週の火曜日になるとのことで、ここでツアーの申し込みをしても、ほとんど意味がないので、当初の予定を全く逆転させて、明日は陸路でマレーシアのジョホール・バル(Johor
Bahru)へ向かうことに決める。
ちなみに、ここは日本人スタッフがいるのではなく、日本語を話せる中国系の女性スタッフが相手をしてくれるようだ。
その彼女から「タイのサムイ島(Ko Samui)なんかどう?」とも言われたが、ここへ行くぐらいなら最初から今回の旅行はタイに絞っているわけだから、当然ながらパスということで・・・・
また、HISは日本でも格安航空券の販売が主力商品なので、これは当地でも同じらしく、他の旅行会社のように海路利用のパックツアーはないそうだ。
でも、ジョホール・バル(Johor Bahru)の行き方を質問したとたんに担当がマレー系の男性に変わり、言葉も日本語から英語に変わった。
彼がそこの出身なのか?
彼女が行き方を知らないのか?
窓口の交代時間なのか?
いずれにしろ、英語の説明が理解できなくて日本語スタッフに変わるというパターンなら、有り過ぎるほど有り得るのだが、こういうパターンってアリ?
私は日本人旅行者なんだけど・・・
シンガポールの移動に便利なのが、MRT(Mass Rapid Transit=地下鉄)とバスで、いずれも初乗り運賃は60セント(\50)と安いが、小銭を常備しなければならない(特にバスは釣り銭が戻らない)ので、MRTバス共通カード(Transit Link Faircard: S$12=\980 / refundable)という共通カードか、バスに乗る予定がなければ記念品にできるMRT Tourist Souvenir Ticket (S$6=\490)をMRT駅の窓口か主要ホテルで買って使うのが効率的である。
ただ、この窓口の営業時間は各駅でマチマチなのが悩みの種で、私たちのホテル最寄りのドービー・ゴート(Dhoby
Ghaut)などは正午オープンという遅さであった。
ちなみに、バスの場合は"AIR CON"と表示のあるバスと、そうでないバスの料金に格差があるようで、ノン・エアコン・カーだと、さらに10セント(\8)
安くなるようである。
ジュロン・バード・パーク(Jurong Bird Park) |
シンガポールの見どころの1つであるジュロン・バード・パーク(Jurong Bird Park)はMRTのブーン・レイ(Boon Lay)から 194番のバス(70セント=\60 / AIR CON)に乗って、終点で下車すればよい。
手持ちのガイトブックによると、他の路線でもOKとのことだが、路線図も持ち合わせず、ガイドも付いていない場合は、終点が目的地となっているバスに乗るに限るのだ。
何しろ、MRTのように路線図表示があったり、車内アナウンスがあるわけではないのだから・・・
本来なら、私はここの隣にあるワニ園(Jurong Crocodile Paradise) の方が、行ったことがない!という点で良かったのだが、ざっと見渡したところ、潰れたのでは?という雰囲気で、営業もしてないようなので、仕方なく、ジュロン・バード・パーク(Jurong Bird Park)を再訪問することにする。
入ってすぐのところは、冷房の効いたペンギンコーナーで、ベンチも中にあるので、しばし佇んで休憩(!?)をするには相応しい場所であるのだが、いきなり休憩すると、先々思いやられそうなので、誘惑に負けないように頑張った方がいい。
とは言っても、私としては、ずっとこの中にいたい気分になるほど、外は暑いのだけどけどね。
その次には池の中で優雅に泳ぐフラミンゴやペリカンがいて、本格的なカメラを抱えて写真撮影に興じる人も結構いるようで、私たちも彼らの合間を縫って、写真撮影会を始めることにする。
実際、常夏のシンガポールでは、ペリカンのようにしているのが一番いいようで、何が悲しくてこのクソ暑い中を、と言いたくなるほど暑いのだ。
せいぜい楽しみは売店を探して、キリリと冷えたタイガービール(350ml / S$5=\410)を飲むことだが、いきなり飲み始めるとこのままダウンしそうなのでジッと我慢するのであった。
でも、ここのメインイベントであった、15時からのバードショー(JSP All Star
Bird Show atPools Amphitheatre) を見損なってしまったのはお粗末というしかないけどね〜
また、この園には「記帳コーナー」があって、自分の名前のほかにもコメントを記す欄があったので私も感想を書いておく。
感想の中で多かったのは "Good!" "Nice!" "Excellent!"
という絶賛とも思えるコメントの数々!
もちろん、これは多種多様な国から来た観光客がこう書いているのだから、きっと良かったのだろう。
あなたも行ってみるかい?
家族やカップル、あるいは新婚旅行なんぞで・・・
夕食は、やはり中国系の民族が77%を占める国に敬意を表して中国料理といきたいところだ。
ニュー・ブリッジ・ロード(New Bridge Road)とサウス・ブリッジ・ロード(South
Bridge Road)に挟まれた一帯、いわゆるチャイナタウンが私たちの目指すところだ
その中のピープルズ・パーク・センター(People's Park Centre)が私たちが夕食を取ったレストランのあるビルなのだが、ここ一帯は、思ったよりもレストランの数が少ないのが悩みの種と言えそうだ。
むしろ、中国系デパートを中心としたショッピング街という要素が強く、また、期待したほど活気が溢れる町でもなかったことが残念でもあった。
7/13(Sun) | シンガポール 10:40-(Bus/Singapore Johor Express)-11:40 ジョホール・バル
12:30-(Bus/Mawar Express)-16:00 マラッカ マラッカ遺跡巡り |
宿泊先 | Lucky Inn / M$75 (\3,450) per night |
諸費用 | Singapore Johor Express: S$2.1=\170 Mawar Express: M$10=\460 (see also here) |
関連サイト | アジア総合リンク, シンガポール マレーシア マラッカ |
アドバイス |
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今朝はシンガポールにおける新しい食事の拠点の発見があった。
そこは、私たちのいるホテルを出てすぐのところにあるブラス・バサー・ロード(Bras
Basah Road)を有名なラッフルズ・シティ(Raffles City)方面に3ブロック歩き、十字にぶつかったヴィクトリア・ストリート(Victoria
Street)を左折して、MRT(Mass Rapid Transit=地下鉄)のブギス(Bugis)方面に行くとあるフード・コート(Food
Court)で、セルフ・サービス・タイプの安食堂だが、朝食から場合によっては夕食もここで済ますことができるという、バックパッカー向きのところである。
そして、近くには「セブン・イレブン」まであり、もちろん、冷えたビールも仕入れることができる。
今回のシンガポール滞在はこれで終わりだが、再度戻ってきたときには、利用価値大のエリアと言えよう。
朝食を終えた私たちは、昨日のHISのマレー系の兄ちゃんに渡されたメモを頼りに、ジョホール・バル(Johor Bahru)行きのバス乗り場へと向かう。
そこは、ロコール運河(Rochor Canal)沿いを走っているロコール・キャナル・ロード(Rochor
Canal Road)と、アラブ・ストリート(Arab Street)が交差するあたりのクイーン・ストリート・ターミナル(Queen
Street Bus Terminal) 、ここからは"Singapore Johor Express"と呼ばれる直行バスが頻発している。
もちろん、国境越えタクシーの客引きもいるが、ここで乗るくらいなら、ホテルから乗り込んだ方がマシと考えるのは私だけなのだろうか?
"Singapore Johor Express"は、マレーシアとの国境であるコーズウェイ(Causeway)を目指して、ノン・ストップで走り続ける。
車内は冷房が効いていて、おまけに定員制らしく立ち席になることもないので、このバスの中国語名の通りに「星柔快車」なのである。
ただ、バスでの国境越えの場合は、コーズウェイ(Causeway)の手前で出国審査を、それを渡り終わった後で入国審査と、2回下車しなければならないのが、少々煩わしい。
それでも、この区間のバスは頻発しているせいか、出入国審査が終わったら再度"AIR
CON"サインのあるバスに乗れば、黙っていても目的地までは連れて行ってもらうことができる。
それにしても、わずかな料金の差とはいえ、"AIR CON"のバスと、そうでないバス(SBS
Bus 170)の混雑の度合いは雲泥の差で、マレーシア人にしてみれば通勤路線に金はかけられないといったところなのだろう。
ジョホール・バル(Johor Bahru)のタマン・ラーキン(Taman Larkin)のバス・ターミナルの建物の中は、長距離バスのチケットを売る窓口がバス会社毎に軒を並べ、客引きが
"Where are you going?"とさかんに聞いてくる。
ここで彼らに行き先を告げると、そのチケットを売っている窓口を案内してくれるというシステムになっているようだが、客引きが寄ってくると、どうも怪しげに感じてしまうのは、習性みたいなものか。
そのほかにも、ここにはお土産屋や両替屋もあって、かなりの賑わいがある。
両替屋と言えば、私たちは、マレーシアの通貨を1リンギットも持っていないので、ここで両替ができたのは、スムーズに旅を続けられるという点においてはラッキーだったが、\5,000=M$95(M$1=\53)とレートが悪いのが難点で、そもそもバス・ターミナルにある両替屋に銀行レートを期待するのが間違いとも言える。
そう言えば、日本でもようやく外国為替取引に関する規制が緩和されて、来る1998年4月1日からコンビニなどでも外貨が売買できるようになるらしいが、この日本版私設両替商の誕生により横並びの邦銀為替レートにも変化が訪れるのだろうか?
町中に私設両替商が氾濫している海外の諸都市、為替手数料(commission)も隣の両替屋同士でも違うことがあるくらいだが、日本も21世紀にはこうなれるかな?
ジョホール・バル(Johor Bahru)を出発したバスは、途中のドライブ・イン(roadside
restaurant)での休憩を挟んで、快調に終着のマラッカ(Malacca) を目指して走る。
シンガポールと違って、ここはイスラム圏の国、女性のスタイルも典型的なそれとわかる人が増え始める。
ただ、戒律がアラブ諸国より緩いのか、髪の毛を隠すだけで、あとは洋装をしている人もいるし、上から下まで正統派の衣装を纏っている人まで様々だが、やはり、基本的な線として「肌を人前で見せない」というのはあるようで、ムスリム(Muslim)の人は先進的(!?)な人でも長袖にGパンというスタイルである。
ただ、イスラム圏の国というのは基本的に暑い地方が多いのだが、ムスリム(Muslim)の女性は、いつもあの恰好をしていなければならないので、大変だろうな?といつも思うのだがね。
それでも、欧米人や日本人女性のようにTシャツに短パンで町へ出るわけにはいかないのだろう。
いやはや、マホメット(Mohammed)の教えというのも罪なものだね・・・
マラッカ(Malacca)のバス・ターミナルに到着したのは、時間的に夕方と言える午後4時なのだが、まだ陽も高く、熱帯特有の蒸し暑さが身体にまとわりついている。
さて、これからホテル探しをすることになるわけだが、幸いにして、マレーシアというところはイスラム圏の国にしては珍しく客引きや物売りが寄ってたかって来ることはない。
したがって安心してホテル探しをしに、ムンシー・アブドゥラー通り(Jalan Munshi Abdullah)へ一歩を踏み出すことができるというものである。
そして、この通りは旅社などの安宿が集まるブンガ・ラヤ通り(Jalan Bunga Raya)と、中高級ホテルがあるブンダハラ通り(Jalan
Bendahara) と交差し、いずれかの通りで予算に合わせたホテル探しができるという便利なところでもある。
もちろん、私たちは、いきなりノン・エアコンの安宿までランクを落とすつもりは毛頭なく、あわよくば冷蔵庫(En:
refrigerator=レフリゲレーター、Ma: peti sejuk=プティ スジョク、Ch: 冰箱=ピン・シアン)も付いている部屋がいいな〜なんて考えていたのだから、行き先は自ずと決まってくるというものである。
なぜ、こんなことを考えていたかと言うと、実は私たちが重たい思いをしてシンガポールから個人輸入(!?)した3本の缶ビールを冷やしたかったからである。
別にこんなことをしなくてもマレーシアでは高いながらもビールは入手できるのだが、私が3年前(1995.7)の経験から「ビールを飲む金でタクシーに乗れた。」と言ったために、連れの友人が何を思ったか「シンガポールでビールを買って行こう。」なんて言い出す始末で、それにつられて私まで買ったために、延々とマラッカ(Malacca)
まで荷担ぎをするハメになってしまったのである。
考えてみれば、缶ビール3本なんて、この暑さの中では、下手をすれば1日分の量なんだけどね・・・
それで、冷蔵庫の付いた部屋があったのかって?いうと、そういうところは高級ホテルしかなく、私たちが泊まったホテル程度のところだと、そういう設備は付いていないのだ。
ちなみに、ビールは?というと、ホテルの近くに、日本並みの24時間営業のコンビニ(convenience
store)なんかがあって、そこで冷えたビールも入手できるのだ。
ここで、「今の心境は?」と聞かれたら、「なんてバカなんだ俺たち!」ていう感じなんだろうな!
マラッカのツーリストポリス | キリスト教会(Christ Church Malacca) |
ロビーだけは高級ホテル並みに豪華な中級ホテルに投宿した私たちは荷物を置くと、さっそく町の散策を始めることにする。
幸いに、夕暮れまでには時間がありそうなので、ブンダハラ通り(Jalan Bendahara)を南下し、ラクサマナ通り(Jalan
Lakusamana)を行くと、ロータリーがあり、そこが観光の拠点となる。
今日のところは時間もあまりないので、噴水とキリスト教会(Christ Church) をバックに写真を取っただけで終わりである。
イスラム教国で、キリスト教会というのも変な感じもするが、このあたりは1641年から1824年まで統治者であったオランダの遺跡も多く、これもその一つだと思えば納得できるだろう。
夕食は、タマン通り(Jalan Taman)一帯に広がる屋台街である。
ここは、おおまかに分けてマレー系と中国系の食堂に別れているが、冷えたビールを飲みたければ、迷わずに中国系の食堂に行くべし!
ただ、大瓶のタイガービール1本でM$8.9(\410)と、当地の物価水準からすると高いのは致し方ないか!
もちろん、料理の方は中国系なので日本人の口にも合うし、マレーシアでは屋台がGOODですね。
7/14(Mon) | マラッカ遺跡巡り |
宿泊先 | Lucky Inn / M$75 (\3,450) per night |
関連サイト | アジア総合リンク, マレーシア マラッカ |
古来より「海のシルクロード」の交差点として栄えていたマラッカは、14世紀末のマラッカ王国の成立とともに現在のマレーシアの国教であるイスラム教が広まり、王朝自身もイスラム教に改宗した。
錫や香辛料,絹などの交易で繁栄していた王朝も、ヨーロッパ諸国のアジア進出の煽りを受けて、1511年にポルトガルに占領され、次いでやってきたオランダに1641年から1824年まで、最後に、ロンドン条約により譲渡を受けたイギリスが、第二次世界大戦中の日本軍の占領期を除き、1957年8月31日のマラヤ連邦の独立までこの地を支配することになる。
そのために、この地の遺跡はバラエティに富み、宗教的建築物も教会やモスクは言うに及ばず、中国寺院やヒンドゥ寺院までも同じ町の中で見ることができる。
そして今日、私たちは、この歴史の流れに晒された「遺跡の町」へ一歩を踏み出す。
そう、 マラッカではカンポン・クリング・モスク(Kampong Kling's Mosque)がスリ・ポヤタ・ビナヤガ(Sri
Poyyatha Vinayagar Moorthi Temple)ヒンドゥ寺院の隣に立っていたりするのだ。
イスラム教徒の多いパキスタンとヒンドゥ教徒の多いインドは仲が悪いと言われているが、ここではモスク(イスラム教の寺院)の隣にヒンドゥ寺院が立っている。
そればかりか、同じエリアにはキリスト教会と中国寺院もある。
私はこれらの歴史的事実を知ったときから確信し続けている。
「宗教指導者の言葉、宗教的な過激主義、狂信者たちが、宗教的対立、殺人、暴動、テロあるいは戦争を引き起こしているということを・・・」
世界の歴史は証明している。
「国のリーダーの宗教的寛容さがその国に繁栄をもたらしていたことを・・・」
さて、私たちの泊まっているホテルは、宿泊代の全額前払いを求めるシステムになっているようで、日曜にマレーシア入りして、ほとんど現金を持っていなかった私たちは、今日まで支払いを繰延べしてもらっていたし、今後のこともあるので、遺跡見物の前に日本円のTC(traveler's check)を両替をしに銀行へと足を運ぶ。
しかし、マラッカでは、このTC(traveler's check)の両替が意外と面倒で、よく旅行ガイドには「海外へ持っていく一番のお勧め」のように書いてあるが、これを現金同様に使えたオーストラリアや、現金よりTC(traveler's check)の両替率の方が良い欧州諸国には当てはまっても、アジアのしかも中小都市では疑問符を付けざるを得ないだろう。 事実、私が両替をしに行った2つの銀行では、いずれも手数料(commission)のほかに印紙税(stamp
duty)を徴収され、郵送料(postage) も徴収される場合もあることを考えると、あながち得とは言えないだろう。 ただ、別冊宝島「達人の旅行術 アジア編」でも、韓国・中国・台湾・インドを除けば、アジア旅行をする限りにおいて、TC(traveler's
check)よりも現金の方が両替率が良いと書いてある。 |
この町での遺跡巡りの拠点は、コタ通り(Jalan Kota)通りにある観光案内所である。
ここでは、英文の"MAP AND GUIDE"と日本語の「アメリカン・エクスプレス・マラッカ遺跡の旅」をもらっておく。
観光の基本は、もちろん後者のガイドブックを見ればOKなのだが、前者にはマラッカ発のバス便の時刻表など日本語ガイドにはない情報も多いので、日本語ガイドがあるからといって捨ててはならないものだ。
もし、ここで英会話に自信があれば、暇そうにしているマレーシア人のお姉さんとおしゃべりを続けるのも悪くない。
ただ、私の会話力では、彼女の暇潰し(!?)の相手はできそうもないようだが・・・
マラッカの町は、マラッカ川(Malacca River)に架かる橋を境目に、トゥン・タン・チェン・ロック通り(Jalan
Tun Tan Cheng Lock)側のチャイナタウンと、ラクサマナ通り(Jalan Lakusamana)側のオランダ村に分かれており、それぞれ特色ある遺跡群が私たちの目を楽しませてくれる。
私たちが行ったのは主として前者で、日本語ガイドには、ご丁寧に「散策モデルコース」はこれ!とばかりに順路が明示してあるので、それに従うことにする。
チェン・フー・テン寺院(Cheng Hoon Teng's Temple) | カンポン・クリング・モスク(Kampung Kling Mosque) |
ハン・ジャバット通り(Jalan Hang Jebat) | マラッカ海峡(Strait of Malacca) |
マラッカ川(Malacca River)に架かる橋を渡り、マラッカ長者通りとも言われるトゥン・タン・チェン・ロック通り(Jalan
Tun Tan Cheng Lock)に入る。
ここはメイン・ストリートとなっているせいか車の往来も多く、常に後ろからやってくる車に注意しながら歩かなければならないのが辛い。
しかも車の列は途切れることなく続くので、道路を横断するのも大変で、ましてや対面にある建物の撮影となれば、よほどタイミングを計らないと、無粋な構図の写真となってしまうのである。
遺跡観光でもっている町なら、いっそのこと交通規制でもして、のんびりと散策できる環境を整えればいいのにとも思うのだが、地図を見ると、この通りは町から抜ける海岸通りの一本道、新規のハイウエイでも完成しなければ、歩行者天国の実現は無理のようだ。
ババ・ニョニャの家(The Baba and Nyonya Heritage)を過ぎ、ハン・レカ通り(Jalan Hang Lekir)という路地に入る。
これを少し歩くと、別名ジュンカー・ストリート(Junker Street=骨董品街)と呼ばれるハン・ジャバット通り(Jalan Hang Jebat)と交差し、さらに行くと、テンプル・ストリート(Temple
Street) と呼ばれているトコン通り(Jalan Tokong)にぶつかる。
そこには、マレーシア最古の中国寺院であるチェン・フー・テン寺院(Cheng Hoon Teng's Temple)があり、門前には色とりどりの露店が、仏像の絵やローソクや線香を売っている。
寺院内では、ほうろうやガラス細工の動物や花で飾られ、中国系信者による祈祷の儀式が行われている。
そのせいか、至るところで線香の臭いがして、どことなく香港やマカオで見たものと同じような感じがしてある意味では懐かしさも感じる。
さらに歩いて、トゥカン・エマス通り(Jalan Tukang Emas)には、イスラム寺院のカンポン・クリング・モスク(Kampong Kling's
Mosque)がある。
ここは、先の中国寺院と違って、ムスリム(Muslim)の人しか入ることはできず、外からしか見学することができないのが残念である。
また、モスクの看板にアラビア語がデカデカと書かれているのに、遠い昔にやってきたイスラム商人たちの名残を感じた。
そして、その隣にあるのが、スリ・ポヤタ・ビナヤガ<廟>(Sri Poyyatha Vinayagar
Moorthi Temple)というヒンドゥ寺院であり、これを見ると、インドとパキスタンのいがみ合いは何なんだ!と言いたくなる。
チャイナタウン側での散策が終わると、再び橋を渡り、今度はオランダ村側の散策に移ることにする。
順路(!?)でいけば、噴水とキリスト教会(Christ Church)なのだが、これは昨日のうちに済ませた(!?)のでこちら側の目玉であるセント・ポール教会(St. Paul's Church)に行くことにする。
ここは、丘を登っていったところにある遺跡であるが、現在は廃墟になっており、むしろ、ここから見渡すマラッカの町や海の景観が目玉のような気もする。
教会の周りには露店のTシャツ売りもいて、中年の外国人観光客が値切り交渉をさかんにしている。
どうやら「M$20(\920)のTシャツをM$6(\280) にしろ!」と言っているようで、近くにある土産物屋街ではその値段で買えたらしいが、このやり取りは私にも大いに参考になるようだ。
なぜならば、私はこれからそこへ行こうとしているのだから・・・
古い町並みが特色のマラッカにおいて、一際目立つのが、ムルデカ通り(Jalan
Merdeka)にある近代的な総合ショッピングセンター(Shopping Complex)、マコタ・パレード(Parkson
Grand Mahkota Parade)だ。
冷房が効いた建物の中には銀行(Bank Bumiputra Malaysia Berhad / open: daily 10:00-21:00)や飲食店もあり、いろいろな面で便利なところだ。
もちろん、世界的に有名になったマクドナルドもあり、そこでイスラムファッションのヤングギャルたちがハンバーガーなどを食べている姿を見ると、何となく私の持っているイメージと合わないのか、可笑しさが込み上げてくるが、一方ではアメリカ文化の浸透率の凄さを感じざるを得ない。
もし、土産物を物色するなら、ここではなく、値切り交渉も楽しめる近くの土産物屋街まで行くべし!
Tシャツ程度のものだっら売値の半額くらいにはなる。
それに、こういうところにつきものの客引きもないから落ち着いて買い物はできるしね。
でも、どちらかと言うと夕方に行く方がいいだろう。
昼間は暑くて彼らもやる気がなさそうだから・・・