盗まれたものはほとんどが着替えだったが、最大の痛手はデジタルカメラや携帯電話の充電器で、日本製のものは現地で入手が困難なものばかりだった。 しかも私はここに1日遅れで着いたためにTACA航空(TACA Airlines)7979便を29日から30日へ変更しなければならなかった。 |
12/27(Mon) | ビジャエルモッサ-(taxi)-パレンケ パレンケ遺跡観光 |
宿泊先 | Kashlan / 250P (\1,680) per night |
諸費用 | タクシー / ビジャエルモッサ-パレンケ: 1,000P=\6,700 乗合タクシー(コレクティーボ)/ セントロ-遺跡: 10P=\70 自然保護区入域料: 25P=\170 入場料(遺跡): 51P=\340 |
関連サイト | メキシコ チアパス州 |
メキシコシティを出発したADOのバスがビジャエルモッサ(Villahermosa)に到着したのは朝の7時だった。
ここでやらなければならないのはパレンケ(Palenque)行きのバスの手配だった。
今やバスチケットがオンラインで予約できるのだからメキシコシティで合わせて予約しておけばよかったのだが、後悔先に立たず、すでに今日の出発便はすべてが満席であった。
ここで気持ちに余裕があればADOが発着する1等バスターミナル(Terminal de Autobuses de Primera Clase)の近くにあった2等バスターミナル(Terminal
de Autobuses de Segunda Clase)へ行って別のバスを当たることをしたのだろうが、急いで目的地へ行きたい一心で選択した方法はタクシーであった。
当然のことながら、いくらになるか見当もつかなかったが、タクシー乗り場で配車をしている人に聞くと、一言「ミル(mil=1,000)」と、これが高いかどうかなど判断しようもない。
時間にして2時間の距離なので、妥当な線だとは思ったが、仮にボラれていたとしても私に残された選択肢はほとんどなかった。
タクシーを下り、町中にあったアステカ銀行(Banco Azteca)で米ドルのキャッシュをメキシコペソに換える。
為替レートは1米ドルが11.94ペソ、地方都市の銀行にしては良好なレートと言えた。
当然のことながら泊まるところは決まっていないので、適当に歩きながらホテル探しをする。
ガイドブックには4軒のホテルが掲載されていたが、小さな町なので歩いているうちに良さそうなところがあったら入ろうと決めた。
そこで、入ったのは偶然にもガイドブックに載っていたカシュラン(Kashlan)というところだった。
「部屋を見るか」と言われ、ロビーに着替えの入った荷物を置いたままスタッフに付いて行ったのは迂闊だった。
長距離の移動で注意力が散漫になっていたのに加え、のんびりした地方都市の雰囲気に油断してしまったのだ。
部屋を見ていた時間はほんの2〜3分だろうか、ロビーに戻って来ると荷物がものの見事になくなっていた。
私を案内したスタッフは、ほかのスタッフが私の荷物をどこかに仕舞ったものと思ったのか、いろいろ聞きまわっていたが、それで見つかるはずもなかった。
今までの旅行歴の中でどこか遠い世界の出来事だと思っていたことが私の身に降りかかったのだ。
ここで不幸中の幸いと言えたのは、盗られたもののほとんどが衣類だったこと、ホテルが家族経営だったようでスタッフ(子ども)の不手際(!?)にオーナー夫妻が責任を感じたようで、私のためにCoppelなどのショッピングセンター回りをしてくれたことだった。
少なからずショックを受けていた私が素早く立ち直れたのも彼らの助力があってのことだった。
ただ、荷物の中にデジタルカメラや携帯電話の充電器のあったことは大きな痛手で、これらの品が貴重品でないようでパスポートや現金の次に貴重なものだと気づいたのは盗られた後のことだった。
日本製の電化製品は優秀過ぎて、というか汎用性がなさ過ぎて(爆)、充電器でさえ外国で入手することが非常に困難なものだった。
最後に警察署へ行き、オーナーが置き引きのことをいろいろ説明してくれたのだが、すぐに盗難証明書(certificado derobo)を作ってくれるような雰囲気にはなかった。
どうやら夕方6時にまた来い、というニュアンスのことを言われたようで、全くやる気のない彼らの仕草を見ていると、暗澹たる気持ちになっていった。
私に降りかかった難題はこれだけではなかった。
スムーズにいっていれば、パレンケの旅行会社で翌朝のフローレス(Flores)行きの手配をすれば終わりだったのだが、ここに1日遅れで着いたためにTACA航空(TACA Airlines)7979便を29日から30日へ変更しなければならなかった。
幸いにホテルの近くにあったKim Toursの女性スタッフは英語がかなり話せたのでフライトの変更手続きはスムーズにいくと思われたのだが、ここはメキシコ、電話の向こう側にいるTACA航空の男性スタッフは酷くノロノロとした仕事ぶりらしく、私の相手をしていた彼女は何回もため息をつき、あくびを噛み殺し、ネットで暇つぶしをする有様、変更手数料をクレジットカード払いにする段になって私が電話をさせられたのだが、聞きしに勝る酷さで、私ですら大丈夫なのか、この航空会社、と思わずにはいられなかった。
TACA航空スタッフのコンピューターへの入れ間違いを恐れた私の不安をわかってくれたのか、Kim Toursの人は航空会社からe-ticketを取り寄せて渡すので、1時間後に再度来てくれと言った。
何で1時間もかかるのか、と思ってはいけない。
ここはメキシコなのだ。
昼食を挟んですべての手配が終わったとき、時計の針は午後3時を指していた。
外国にいると日本の素晴らしさがわかると言う人は多い。
なぜそう思うのか、この体験談を読んだだけで、ほとんどの人はわかるだろう。
パレンケには有名なマヤ遺跡があり、市内から乗合タクシー(コレクティーボ/colectivo)が遺跡まで頻繁に出ている。
ホテルのオーナーの奥さんは旦那が遺跡に連れて行ってくれるから、と言っていたが、いざ私が行きたいと言ったときは、バスに乗れば行けるよ、とのこと。
朝方の約束などすっかり忘れられてしまったようだが、たった10ペソ(70円)の運賃だったし、バスは遺跡の入口まで行ってくれるので、案内をしてもらうまでもなかった。
それに英語が話せるのは奥さんだけで、それ以外の人たちはほとんど話せないのだから連れて行ってもらったとしても同じことだったのだ。
私が遺跡に到着したのは4時前、中を見学できるのは1時間余りしかなかったので、土産物屋などはすべて素通りして早足で遺跡を見て歩く。
たった1時間では見学しているというより写真を撮っていただけという方が相応しいか。
それでも天気がよく、Tシャツで歩けるほどの気候だったのが幸いし、早足で見た割にはポイントを押さえながら見学できたように思う。
できることなら午後1番くらいで来ることができれば、もっとゆっくりしていられたのだが、マヤ遺跡のハイライトは明後日のティカル(Tikal)だと気を取り直す。
何しろメキシコシティで出会った日本人が口々に「(ティカルは)行くべきだ」と言うところなのだから・・・
ところで、夕方の6時に来いと言われた盗難証明書発行の件、今度は英語のできる奥さんも一緒に来てくれたのだが、結局、この日は発行されずじまいだった。
最初は「明日」とか言っていたのが、私が二度とパレンケには戻って来ないということを理解させ、事情聴取だけはされたが、証明書の件は白紙にサインと拇印を押させられて、後日オーナー夫妻が警察から渡してもらって日本に送るとのことで終わった。
白紙にサインと拇印を押させられたというのが不気味だったが、もはや彼らを信用するしかなかった。
彼らが腐敗警官で、その白紙に「麻薬密輸を自白したことに間違いありません」とかタイプされても私にはわからないからだ。
そして、その証明書は帰国後には届いておらず、無駄と思いつつもホテルにe-mailした結果、被害にあった2ヵ月後の2月下旬になって自宅に送られてきたのだった。
私のみならずともよく送られてきたな、というのが正直なところだった。