2004年参議院選挙結果から 構造変化の深層(2004.7.13-17 読売新聞) |
参院選が終わった。小泉首相や与野党各党は今後、新たな政策作りや党改革に乗り出す。 選挙結果が示した政治の構造変化の深層を探る。 |
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「やっぱり潮目が変わってきたね」。参院選公示後、公明党の神崎代表がつぶやいた。 当時、報道各社の世論調査では、小泉内閣の支持率は急速に低下しつつあった。 首相の街頭演説などに対する聴衆の反応も、ひところのような熱気は消えうせていた。 「小泉ブーム」が日本列島を覆った3年前との違いを、神崎氏は肌で感じていた。 参院選の結果は、潮目の変化を実証した。 野党第一党が自民党を上回ったのは、1989年の参院選以来15年ぶりのことである。 1989年選挙では自民党と、当時の社会党との差は十議席もあった。 今回、自民党はわずか一議席下回ったに過ぎない。だが、内実は、数の差の以上に深刻である。 1989年参院選は敗因が明確だった。リクルート事件、消費税導入への反発、宇野首相自身の女性スキャンダルなどだ。 それに比べると、今回は、年金改革に対する不信感はあったものの、小泉政権にとって致命的なスキャンダルや失政があったわけではない。 にもかかわらず、「小泉離れ」は急激に進んだ。 なぜか。自民党は、2003年11月の衆院選の政権公約(マニフェスト)について、「93%が実現に向けて動き出している」と主張している。 だが、最近の読売新聞の調査だと、国民の七割は、自民党の政権公約に盛られた政策が「進んでいない」と答えている。 首相は、就任直後、「自民党をぶっ壊す」と公言した。 自民党の枠内での「疑似政権交代」のイメージをふりまいて、有権者の支持を集めた。 それから3年。国民の期待感は、失望感に変わった。 実態が伴わない、呪文のような「構造改革」の”小泉語”に、「有権者が改革疲れを感じている」といった指摘さえ聞かれ始めた。 しかし、当の首相は実にあっけらかんとしている。 開票日の11日深夜、首相は民主党の躍進ぶりを横目に記者団にこう言った。「何の実績もない、期待だけの時とね、3年間の実績を積んでいるのとでは違いますよ」就任して間もない民主党の岡田代表への期待感には実績の裏付けがない、といいたかったようだ。 首相はさらに続けた。「これからあと2年、実績を積むよう努力していかねばならない」 自民党総裁任期が切れる2006年秋までの任期を手に入れた首相は、何をしようとしているのか。 9月に郵政民営化案を決定し、2007年4月の民営化を目指す。 年金制度一元化を含む社会保障全般の見直しについては同年三月までに結論を得る。 国と地方の税財政を見直す三位一体改革は今秋に改革の全体像を示す。日朝国交正常化も任期中にぜひ実現したいと、意欲を燃やしている。 しかし、求心力を失いつつある首相に、それが出来るかどうか、自民党内にはその限界を指摘する声も少なくない。 小泉人気の低下の背景には、首相自身が、2003年の自民党総裁選前後から、改革の軸足を自民党側に移したことも大きいとされる。 「抵抗勢力が協力勢力に変わった」というの首相の発言がそれを端的に物語る。 「抵抗勢力と対決という政権浮揚の戦術を放棄したということだろう。最大の支持基盤であった世論の支持も低下し、改選議席を割った首相に対しては「死に体」という指摘も聞かれる。 首相は、「改革なくして成長なし」の従来路線を引き続き継続する考えだが、前途は極めて厳しい。 |
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その瞬間、疲れ果てた自民党の青木参院幹事長の表情が一段と険しくなった。 自民党苦戦の参院選から一夜明けた12日、小泉首相(党総裁)が党本部での記者会見でこう述べた時のことだ。 「私は首相に就任し、郵政民営化や公共事業削減など、支持団体が反対する政策を取り上げてきた。団体が戸惑っても無理はない。だが、どんなに強固な組織を持っても、無党派層の支持を得られる政党でないと、政権を獲得できない」 両目を閉じて会見場に座っていた青木氏は、「それはおかしい。無党派も、団体も、両方とも必要じゃないのか」と思った。 小泉内閣の構造改革路線は、政官業のもたれ合いを破壊することを狙った。 事実、自民党を支えてきた業界団体は弱体化している。 だからこそ、選挙戦で青木氏は、団体を締め上げた。「落選すれば、『日本経団連は全く相手にする必要なし』という空気が広がるぞ」「建設業界、戦後最大の苦しい時だ。団結して力を示さなければ、要望なんて通るはずがない」 が、各団体の集票力の低下は予想以上だった。 選挙終盤戦になって青木氏ですら「組織はもう壊れている」と弱音を漏らした。 比例選の結果を見ると、ぼとんどの団体が前回の得票に届かず、自民党は獲得議席を五つも減らした。 団体との結びつきの強い議員を多く抱え、参院を牛耳ってきた橋本派の幹部の一人はこう皮肉った。「実態がないと揶揄される小泉改革だが、成果が一つだけある。自民党をぶっ壊した、ことだ」 組織の衰えは、選挙区選でも同様に表れた。 「地殻変動が起きている」公明党の東順治・国会対策委員長は、選挙戦終盤、自民党苦戦のにおいをかぎ取った。 創価学会の九州地区幹部を務めた東氏のもとには、「保守地盤の九州ですら、県庁所在地や中核都市だけでなく、小都市や町村部でも民主党に勢いがある」という報告が相次いでいたのだ。 自民党は結局、東北や九州に二十七ある改選定数一の「一人区」のうち、青森、奈良、岡山、長崎、大分など七選挙区で民主党の公認候補に敗れた。 自民党内では「現職議員が6年間の任期中、地元対策を怠った」「高齢候補者への批判が強かった」ことが敗因とされている。 だが、それは今に始まったことではない。 「利益誘導はもう効かない。自民党の支持者が全国的に細っている。 しかも旧来の支持者が投票に行かなくなった」とは古参の党職員の見方だ。 13日の党役員連絡会。出席者の、一人が自戒を込めてこう語った。「高下駄の歯がどんどんなくなっていることに気がつかなかった。気づいたら、草履みたいになっていた」「小泉ブーム」という生命維持装置がはずれ、自民党は「支持基盤の崩壊」という現実を直視せざるを得なくなった。 公明党・創価学会の組織票という「新たな歯」を継ぎ足しても、参院選で自民党が改選議席を維持できなかったことは、事態の深刻さを浮き彫りにしている。 首相の言うような「無党派対策」というものが果たしてあるだろうか。 自民党幹部の一人は、あきらめ顔だ。「小泉首相にできるところまでやってもらい、次の総裁選で国民的人気のある人を首相にする。その直後に解散・総選挙を打つしか、自民党が勝てる手段はない」 自民党は、柳の下に「二匹目のドジョウ」を追い求めるのだろうか。 |
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12日夜、東京・永田町のホテルのバーで民主党の岡田代表を囲んで参院選の「打ち上げ会」が開かれた。 「躍進」の実酒に酔いしれる中堅・若手の国会議員たち。 ふだんから洒を飲まない岡田氏は、ひとりウーロン茶を口にしながら、こう語った。「民主党が自民党を一議席上回ったと喜んでいるが、本当はもっと差を広げることができたんだ。富山では民主、社民両党の候補の票を合わせると自民党候補に勝っていた。次の選挙では、社民党を取り込まないといけない」 岡田氏の発言は、対応を考えれば次期衆院選で政権交代は十分可能だ、という意味にも受け止められた。 民主党は2003年の衆院選に続き、今回の参院選でも大きく議席を伸ばし、「本格的な政権選択の時代」(岡田氏)の到来を印象づけた。 全国各地で意欲のある若手候補を戦略的に擁立した。 大分や奈良、滋賀など一人区で自民党の候補に競り勝った。 「自民党の候補でもいいような若手が、地域の事情で自民党からは立候補できずに、民主党に流れている。これが何年も続けば、自民党はもう終わりだ」といった危機感は自民党内に一層強まった。 民主党は、政治家を志す若手の受け皿になりつつある。 今回、二十七人の新人が当選した。民主党全体で見ると、民主党以外の党派に所属したことのない「民主党生え抜き議員」はこれで百五十人となり、全体の約六割を占める。 民主党は、旧党派の「寄り合い所帯」から抜け出しつつある。 民主党幹部の一人が、こう自賛した。「新人女性が選挙区で三人当選した。自民党に対抗しうる政党として成長しつつあるんだ」 しかし、議席増がそのまま民主党の実力なのかどうか。 民主党は5月に年金問題で菅直人氏が代表を辞任し、党が大混乱したばかりだ。急ごしらえの体制で岡田氏の代表としての手腕は未知数だ。それでも議席を伸ばしたのは「いわば敵失に助けられた」(民主党若手議員)との見方がある。 自民党の不振は、年金問題への対応が悪<、小泉首相の構造改革で自民党の基盤が切り崩されたことが背景にある。 「民主党の魅力が増したというよりも、政権批判票が共産党に行かず、民主党に回っただけだ」(自民党幹部)と言われる。 民主党の政権担当能力を信頼しての票ではないのではないか、というわけだ。 実際、参院選直後の読売新聞の世論調査で民主党の支持率は自民党の支持率を上回ったが、小泉首相の続投を望む人は58%もいた。 民主党が近い将来、政権をとれると思うかと聞くと、「そうは思わない」が61%にものぽっている。 党の足腰も弱い。参院選の最終盤、民主党の玄葉光一郎・選挙対策委員長は全国の衆院議員、及び候補予定者に発破をかけた。 だが、衆院三百小選挙区のうち公認候補が内定していない「空白区」が七十五もある。 玄葉氏は「党の手足がない空白区では、与党の攻勢の前になすすべもなかった」と振り返った。 岡田代表は今月末、米国民主党の大会に出席するため、訪米する。 政権交代を実現するという意味で共通の目的を持つ日本の民主党の存在をアピールする狙いもある。 しかし、民主党にとっては、安全保障や憲法など基本的な問題の一致を図り、自民党と正面から政策で対決することがまず必要だ。 「政権交代に備えて、党内が共通の政策理念を持つ必要がある」 仙谷政調会長の提案で民主党は、政策研修会の開催を計画している。 国民にとって魅力のある政策を打ち出せるか。それが同党が政権交代の「受け皿」になるための最大の課題だろう。 |
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アールデコ調の貴賓室、金色に輝く仏壇、千人近くが入れる大講堂。 参院選最終盤の7日、平沼赴夫・前経済産業相は岡山選挙区で苦戦している自民党候補への支援を要請するため、初めて創価学会の岡山文化会館を訪れた。「大逆転を目指します。よろしくお願いします」 平沼氏は地元の学会幹部に頭を下げた。 公明党側は自民党側に、選挙協力の見返りとして三万人分の後援会名簿の提出を要求した。 候補者本人が一万五千人分、平沼氏ら地元の衆院議員五人が各三千人分を渡したという。 群馬選挙区の前橋市で6日に開かれた公明党政談演説会には、自民党候補の中曽根弘文・元文相と上野公成・前官房副長官の姿があった。 「このような大会に出るのは初めてで緊張している」と切り出した中曽根氏は「SGI(創価学会インターナショナル)の雑誌も読んでいる。ほかの新聞は読まなくても(創価学会の機関紙)聖教新聞は読んでいる」とアピール。 上野氏も負けじと、「(公明党の)浜四津先生の完勝に向け、できる限りのことをしたい。聖教新聞は二部取っていると述べ、大きな拍手を野びていた。こんな選挙区が少なくなかった。 参院選に先立って自民党執行部は、党公認候補が、「比例選は公明党に」と呼び掛けることを禁止したが、現場には浸透しなかった。 そればかりか、安倍幹事長や青木参院幹事長もこぞって公明党創価学会に支援を頼んだ。「執行部はバーター協力を黙認した」とも受け止められた。 公明党の比例選の得票は、参院選では過去最高の八百六十万票。浜四津敏子百八十二万票、弘友和夫九十九万票と、個人得票の上位に公明党候補六人がずらりと並んだ。 読売新聞と日本テレビ・同系列局が実施した投票日の出口調査によると、自民党支持層で公明党に投票したと答えた人は5.1%で、三年前の前回参院選の3.7%を上回った。 自民党が公明党に比例選で協力したことを裏付けている。 小泉首相は、13日の政府・与党連絡会議で「公明党は完勝だ。見事な選挙戦だった。自民党も見習わなければならない」と語った。 「自公融合」は2003年11月の衆院選に続き、今回でもまた深化した。 旧来の支持団体の衰えを感じた自民党は選挙区選で公明党支持層に頼り、公明党は比例選で生き残りを図った。 二大政党化の進む政治構造の一角に公明党はしっかり根を張っているように見える。 だが、自公両党は、憲法や教育基本法の改正、安全保障などの基本政策で隔たりがあるのは明らかだ。 自民党内では、選挙で公明党に”借り”を作ったことで自民党本来の政策が実現できず、今後、公明党に譲歩を続けるような政権運営に陥るのでは、との懸念の声が強まっている。 15日の自民党亀井派の総会で、亀井静香元政調会長は「他党との協力という選挙戦術だけに頼っていて、自民党に未来はあるのか」と述べ、自民党執行部の対応を批判した。 一方、公明党にも自民党への不満がなくはない。 公明党幹部の秘書が選挙戦の最中にこう漏らした。「相当数の学会員さんが選挙区選で民主党に投票するだろう。イラク問題などで小泉政権への不満がたまっているから」 「小泉ブーム」の終焉と、自民党の支持基盤のもろさ。 自民党の集票力低下を目の当たりにして、創価学会幹部の一人は、「もしも自民党が泥船なら、どこまでつき合うか、考え直さなければいけない」と語った。 |
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「二大政党に対抗し、新しい政治の流れを起こしていく」 参院選は共産、社民両党ともにこうしたフレーズを使っての戦いだった。 だが、有権者を引きつけることはできず、得票には両党の体力の衰えが表れた。 参院選翌日の12日午前、東京・千駄ヶ谷の共産党本部。 不破議長、志位委員長ら最高幹部による「常任幹部会」が開かれた。 選挙結果を総括する中で、「現場の声は『有権者の反応はよかった』というのに、結果につながらなかった。現場での感触と、結果がかけ離れていた」といった指摘があったという。 そうであれば有権者の反応を十分に吸収できない党になっているとも言える。 共産党の退潮傾向には歯止めがかかっていない。 2003年4月の統一地方選の県議選ではその4年前と比べると、都市郡を中心に四十五議席減らした。市議選でも九十三議席減と後退した。 2003年11月の衆院選でも解散時二十議席を守れず、比例選のみの九議席。 参院選では改選十五議席を四議席にまで減らす惨敗で、衆参ともに議員数一けたの政党となった。党が重視した比例選の得票も四百三十六万票と、衆院選(四百五十八万票)を下回った。 イメージ戦でも後手に回ったように見える。 共産党は、参院選投票日直前の8日から3日間、テレビCMを急きょ放映した。 ポスターやビラを中心に宣伝を行う方針だったが、「総合的判断」(市田書記局長)で作ることを決めたという。 敗北続きだが、志位氏は「執行部の責任が問題になるのは、路線や方針の上での誤りを犯した場合」とし、辞任する意向はない。 議席減のあおりで、党首討論への参加や法案提出など国会活動にも影響が出そうだ。 ベテラン党員の一人が、「共産党は国会での論戦が”売り”なのに、大きな痛手だ」と漏らした。 一方、社民党は改選二議を維持した。だが、比例選の得票は二百九十九万票で、3年前の前回参院選(三百六十二万票)より約六十万票も減らした。 参院選終盤、福島党首は「私自身の考えでは憲法の明文規定と照らし合わせれば『自衛隊は違憲』と言わざるを得ない」」と述べ、「自衛隊違憲論」を持ち出した。 かつての社会党を支えた支持層に浸透することを狙ったようだ。「合憲か違憲かの結論づけは全党員によって行う」としている。 社民党は旧社会党時代の1994年に、「自衛隊合憲」に路線転換した。 選挙の最中に、何の党内議論も経ず、公約にもないことを党首自ら主張するのは異例だ。 だが、「自衛隊合憲としていた国会議員も労組も、みんな民主党に行ってしまった」(党関係者)ため党内に異論はない。 16日午前、党本部で開かれた常任幹事会では、「女性にもっと支持されないといけない」(福島氏)、「民主党批判が十分に浸透しなかった」(又市幹事長)などの反省の弁はあったが、次期衆院選に足場を固めることができた」で一致したという。 民主党との合流についても、「社民党だけでかたくなに頑張るだろう」(阿部知子政審会長)と否定的だ。 読売新聞社が12、13日に実施した全国世論調査(電話方式)では共産党の支持率3.0%、社民党は1.7%にとどまり、民主党(30.2%)に大きく引き離されている。 |
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